上流と下流の正義
今、ぼくはアジャイルという小さなプロダクトを全部つくるところから、分業にして上流工程下流工程が分かれるところで働いている。
上流の中でも、他人が作った仕様に則って市場に出せるかどうか評価するQAの仕事だ。
品質のプロにならなくてはならない。
だから調べてみると、現代におけるソフトウェア品質を論じている記事や本は、まあアジャイルで内製化していることで「いつもと違う」ことを感じ取り、ミクロに品質を見えるように働きかけている(ように見える)。
狩野モデルがいい例だと思う。
それを今の自分の仕事に適用しようと思考した時に、できることが少な過ぎる気がしてならない。アジャイルにいた頃ならできたのに、とも思ってしまう。
アジャイルで学んだことは、テスト仕様書がそのままソフトウェアの仕様書になれる、ということで、品質の担保と設計開発は同時に行わなければ良い品質は生まれないと言うことだ。
世の中のQAコミニュティに入れば、何か糸口がつかめるのだろうか。
もっと、もっと、インターフェースはエクセルやワードでも構わないので、考える仕事に持っていきたい。今の縦割りは、あまりに思考停止させるための組織になってしまっている。上流はもっと考えなければならないのに、常に考えられる仕事のルーティンにならない。だから下流の方が魅力的に見えてしまう。手を動かして、それがそのまま反映されて動くものが作れるから。
飲み込まれないように、動こう。